聖隷労組の結成

 1955年頃、給与制度が導入され、職員の数も次第に増えてくると、自然に経営に直接タッチしている経営者と、現場の仕事に追われている職員との間に意思の疎通を欠くことが起こりやすくなってきました。そこでお互いに今後の展望などについて話し合いを持とうと言うことになり、「従業員協議会」という名称の話し合いの場がもたれることとなりました。その後「職員組合」とよばれ1960年12月17日に結成大会を行い「聖隷労働組合」という名称になりました。

 初代執行委員長には、経理部や給食部の総括をしていた長谷川力氏が選任されました。
労働組合設立当初の労使交渉は、教会堂で労働組合代表と理事たちとで定期的に話し合いが持たれました。労働環境、給与、将来計画などについて話し合いましたが、ストライキについては慎重に議論が尽くされました。当時の聖隷保養園時代には、次のような内容が話されました。

 給与制度である以上、高賃金高能率でなければならない。病院や社会福祉施設は生命の危機に立っている人々を預かっている所だから絶対にストライキをしてはならない。もともと労働者のストライキというものは、労働者が団結して労働者の賃金や労働条件を改善する闘争であって、つきつめて言えば労働者とその家族の生活、生命を守るためのものである。人間としての道理を言えば、他人の生活、生命を守る人間としてはじめて、自分の生活、生命を守れと主張する権利があるのであって、他人の生命や生活を守ることを怠る人間には、自分の生活や生命を守れと要求する権利はない。それ故に、病院や社会福祉施設のような所では、労働者がストライキをしてはならない。その代わり、国家公務員と同様、人事院制度を利用して、人事院勧告が国会で決議されたら、直ちに聖隷保養園でも、これに給与をスライドする」ということで理解し、了承されました。

労働組合とは・・・

 私たち労働者の給料、各種手当、人員不足による増員、有給休暇の取得、子どもを持っても働きやすい制度(育児支援制度)等の、私たちの労働条件や労働環境を守り、向上と改善を主な目的とした組織です。
 個人で「給料を上げて!職員を増やして!」と聖隷福祉事業団の役員や職場長に個人交渉をしていくことは困難なことです。
 しかし、労働組合は事業団役員と対等な立場を確保しています。そして、団体交渉権により事業団役員と毎月交渉をしています。
 結果、今までも多くの要求を前進させてきました。

 労働組合の力は、組合員の数に比例します。
 団結は力なり、数は力なりと言われています。

働く側の立場で考え、人として活き活きと仕事もプライベートも充実した毎日を送りたい!!
このような考え方から組織されたものが労働組合です。